☆☆☆ Matsu  Collection ☆☆☆

【歴戦の愛機たち】

 クルマ。時代と共に進化し続け、今や内燃機構造すら終わろうとしている。我が少年期には、高度成長期と重なり、世界のモータリゼーションが大きく変貌した時代でもある。この日本でも、今なお『 名車 』と呼ばれるクルマ達が数々登場した。モーターショーで父親と一緒に見たTOYOTA2000GTは、その代表格であろう。

 そんな幼少時代に見たクルマの中で、スポーツカーへのあこがれを抱いたクルマがある。
Fairlady Z・・・型式S30
ロングノーズショートデッキ。滑らかなボディーライン。コックピットの名がふさわしい運転席。荒々しいエンジン。車名やそのスタイルでは、女性らしさを感じつつも、操りにくさからくる男らしさを併せ持つ、貴重な名車。私は、今でもそう思う。

その後、車社会、日産にとっても氷河期と評される時代があり、一転、社会情勢が大きく変革した時代がやって来る。
そう、バブル。日本のメーカーは、こぞってハイパワーカーを生み出す。
そんな中で、我が人生をも揺るがす、バブルの申し子が登場する。

Skyline GT-R・・・型式BNR32

【歴戦の愛機一覧】
初代 弐代目 参代目 四代目
KE20 
S30  PZ31  BNR32

 

免許皆伝は、昭和56年9月9日。そう、大抵の男は、大学入学前(高校時代)に取るであろうが、ギリギリまで、受験に足掻き入学後も高校の延長のように誤解?をし、クルマのことは、忘れ去られた遠い過去?であった。大学入学後は、高校時代からの趣味であった自転車を溺愛し、サークルにも参加していた。現在もRと共に倉庫で眠るロードレーサーがある意味、初代Matsu号なのかもしれない。
 夏休みに入り、いよいよ免許取得へ向け動き出す。しかし、クルマに乗りたいなどとは特に思わなかった。そこには、溺愛のマシーンがあったから。
ここでちょっと、ロードレーサーの紹介を。。。

生まれ 昭和54年、名古屋市昭和区のチクリスタイシハラ
フレーム タンゲクロモリNo.2 H=530mm Color=Gold
ペダル ミカシマシルバン(バンドクリップ式)
クランク シマノデュラエース
F−ギア シマノデュラエース52T/48T
R−ギア シマノデュラエースT〜13T
Fディレーラ シマノデュラエース
Rディレーラ シマノデュラエース
チェーン シマノデュラエースUG
F/Rハブ シマノデュラエース
スポーク 段付スポーク
リム スーパーチャンピンオン(中空)
タイヤ ウオルバージュニアブチル〜パナレーサー(300gチューブラー)
ハンドル 日東
ステム 日東パール(90mm)
サドル チネリ(バックスキン)
ポスト 日東
F/Rブレーキ グランコンペ

こいつとは、能登一週、九州一周・・・・

 

初代Matsu号襲名
Corolla1200DX/2D【KE20】

 大学1年生の夏休みも終わり、免許皆伝後のある日、オヤジの勤める建築会社が突然の倒産。何とか大学へは行けるが、小遣いなんぞは望めまい。サークル活動も自粛の意味で脱会。当然のことながら、アルバイトを始める。この時点で、うっすらとクルマへの思いが・・・・
最悪の事態の中で、自分の趣味だけ忘れていなかったんだね。両親に、ゴメン!更には感謝!何故かバイト先は、川名のガソリンスタンド。エッソマンとなった。

 そんな中、オヤジがクルマを貰ってきてくれた。昭和46年式カローラ。色は薄い黄色。菓子折5000円での購入である。車検が約1年半残っていた。オヤジの仕事仲間からの譲りモノだった。女性が乗っていたとのことであったが、とにかく汚れまくり。洗車道の始まりだ。ひたすらバフ掛け。錆びたところは、タッチアップペンで塗装。ワックスは、エッソハード。フロントグリル+ライト周り+リアテールランプ間を黒塗装。テールレンズには、スモークスプレーでブラックアウト。ホイールはてっちん。錆落としをして、ゴールド塗装。ドア下方は錆が激しかったため、ペーパー下地でゴールド塗装。ツートーン仕上げだ。
 内装へ移って、内張はダイエーで500円/mの熊の絵がついたビニールシートを購入し、張り替えた。イメージは一変だ。何故かファンシー???アメ横で5000円のカセットステレオ購入。オヤジのお古のスピーカーを取り付けて、ノーランズ、アラベスク。。。
 当時は、エンジンへの興味はなく、音だけ何とかしたい!マフラー中間サイレンサーへの穴開け+エアクリ蓋の段ボール化!であった。メッキ平板型フェンダーミラー。コレをつり目状にセット。結構、おつなモノである。これぞ、我が初代愛機である!

残念なことに、写真が現存しない。悔しい限りである。

 


弐代目Matsu号襲名
FairladyZ-L/2seater【S30】
S30-124584
<三方五湖にて>

 カローラによる学生時代も、次第にエキサイティングな時代に突入である。丁度このころ、オヤジのクルマは、初代カムリSEであった。焦茶+茶色のツートンは、なかなか渋い。そいつにハヤシストリート6.5J-14+F195/70-14,R205/70-14をおごった。何故?カローラじゃ、格好悪いじゃん!そう、コンパ、コンパである。たくさんコンパの思い出がある割に、***の覚えがない。硬派であった。(^^;)ゝ
 ガソリンスタンドでは、様々なクルマがやってくる。特徴のあるクルマが多かったような気がする。軽自動車も360ccの時代だ。燃料は、まだ、有鉛ハイオクを販売していた。話が逸れるが、丁度有鉛ハイオクが終わろうとしていた頃である。旧車の有鉛ハイオク仕様がバルブシート打ち換えによる、無鉛ハイオク仕様への変更を余儀なくされた。今では、有鉛の文字すら忘れ去られようとしている。
 そんな中、我に衝撃が走った。マルーンの240ZG!エセではあったが、そのたたずまいに、かつての少年期を蘇らす。コレしかない!!こうなったら、居ても立っても折られない。修理屋へS30捜索指令を発令する。カローラは車検切れで廃車とし、その約1ヶ月後に、目的のZに出会う。修理屋へ飛んでゆくと、キャリアーに乗せられ現れる。フェンダーにへこみがあるものの目立った事故歴はナシ。ミッションのヘタリ、ブッシュ関係のヘタリなどから、ブッシュ総替え+全塗装+ドアミラーにて、50万円ポッキリ!即決!今の市場では考えられないね。
 納車当日。自宅の窓から眺めていると、真っ白のS30が現れた。ゆっくり駐車場に停車。飛んで降りていったよ。そこには、流麗なボディーラインの2シーターZである。ん?妙にすっきりしている。何か変だ。あっ!ビタローニがない!そう、フェンダーはもちろんドアミラーがないのである。間に合わなくてねぇ〜。修理屋の一言。それから、1週間、ミラーなしだった。それにしても、ミラーなし、格好いいよぉ〜!!!
 購入半年後、シルバーのエセ240ZGで車検切れ寸前があるとの情報キャッチ。すかさず3万円で購入。ただし、名義変更は自分で行った。所有者の印をもらいに行くと、その彼、中学時代の同級生だった。ちょっと驚き。部品をはぎ取って、そのまま、修理屋へ。Gノーズ+オバフェン+リアスポがめでたく付いた。ちょっとした不手際で、ボンネットヒンジの移植を忘れ、開かないよー事件もあった。よき時代である。さすがにそれまで7J−14だったハヤシストリートもリアはやや貧相に見えてきた。2本5000円で8Jを購入。当時としては、がんばってのロクマルタイヤを取り付けた。310turboだったかな。
 そうなってくると、またもや音!不足気味だ。本来で有れば、ソレ+タコ+デュアルだが、そこは貧乏学生。結局はエンジンノーマルで終わったね。SUキャブはそれなりに遊びはした。中のオイルを2ストものにしてレスポンス重視。クリーナーボックスは、フォルザの独立ボックスへ換装。ウルトラの赤ラインに交換。プラグは、5・6・7・8あたりを使い分けした。
 マフラーは、当然お金がないので、リアサイレンサーのみ交換。アンサー風1本だしスラッシュだった。走り回れば消音材が飛び散り、爆音になるとは後ろから消音材を突っ込む、この繰り返しだった。ヘッドライトは、今は無き?マーシャル。H4の100Wで深夜も快晴?だった。初めはリレーを入れることを知らずに、ハイビームにした途端、ハンドルコラムからもくもく煙が・・・勉強でした。群馬のツレ宅へ遊びに行ったときには、前を走るツレは、オレがハイビームにすると、後頭部が熱かったとか。。。証言。
 室内に目をやると、ハンドルはナルディーウッド。コンポは、ケンウッド。化粧板は自作。純正は、今は無き8トラステレオだったからね。若い人は知らないのでは?新調したのは、ラジオ+カセット一体型+イコライザー+アルミ置型3ウェースピーカーだった。元々、アンテナが電動だったため、これを生かすようスイッチを設置。3連メーターの下には、純正室内灯。下へ向けたときのみ点くものであったが、スイッチを別途増設、ON/OFF出来るように加工。フロアマットには、貰い物のバスマットを流用していた。そうそう、助手席には、踏ん張り棒があったね。いかにも、スパルタン?

 ここでS30系譜を少し。正しくは、S30との型式はS46.3〜S50.8までのZ-Lを指します。その後は、排ガス対策などからA−S30となる。S30も、S48.9を境にマイナーチェンジを受けており、一例としては、例のワンテールが分割式になったりリアゲートダクトが廃止となった。また、S30Sとの型式で、廉価版も存在した。カーステレオなどのオプション扱いにより20kgの軽量化を呼び、ノンリクライニングシートと相まって、こちらをグッドチョイスとする人も少なくなかった。他グレードとしてS20を積むPS30、S46.3には240ZGのHS30が追加、S49.1から2/2のGS30追加された。S53.8にフルモデルチェンジを受け、S130へとバトンタッチする。

 

 

参代目Matsu号襲名
FairladyZ200ZR-II/2seater【PZ31】
KPZ31-
<名港大橋の下にて>

 社会人2年生のS61.12、マイナーチェンジを受けるPZ31の情報を聞きつける。角張った当初のZ31が丸くなる、そんなことから淡い期待を抱いて、近所の愛知日産を訪れる。オフクロがパートしていたうどん屋へ来る日産部品の部長さんの紹介だった。カタログだけを頼りに、決めてしまった。シルバー、2シーター、レカロオプション、サイルチェーン、スキーキャリア?・・・・締めて341万円
 納車の日は、夕方だった。PZ31が来る直前に、S30を譲る学生が取りに来た。15万円で譲った。そしてPZ31が登場。早々に立ち去るS30。その後ろ姿は、すごく寂しく、もの悲しい気持ちであった。目の前に、新車が有るというのに。営業マンと金銭授受を済ませ、彼をディーラーまで送る。初めてのPZ31。緊張したねぇ〜。なんて静かなんだ、なんて大きいんだ。。。第一印象。
 カミサンと出会ったときは、S30だったが、殆どの思い出は、このPZ31だ。何処へ行くのも一緒だった。カミサンの成人式へも迎えに行ったな。神戸にも行った。でずにーらんどへも行った。
 SSRの限定モデルに履き替え、HKSターボマフラー(非対応)へ交換、対米仕様のリアガーニッシュへ交換、TBOのFスポを追加した。純正フォグの内側に、シビエの角形ドライビングフォグを入れた。こいつがメッチャ抜けが良く、冗談抜きで、前走車の下を抜けてその前を照らすぐらいだった。それ以上、特に何も触ることなく終演を迎えた。そう、このクルマ、360度、ぶつけられた所がないクルマとなった。記憶するだけでも5件はある。最後は壮絶だった。出勤途中、脇道からクラウンが我が側面へ衝突、その弾みで対向車線歩道へ乗り上げ、空き地の土手で止まる。サイドガラスは割れ、Fスポは飛び、腕には血が滲んでいた。これが引き金で、クルマ買い換えへ心が動く。
 つい最近、スキーキャリアが倉庫から出てきた。新品未使用。そう、一度も使わぬまま、終演を迎えたのであった。一応、板金修理し、最終的には、150万円の下取り車となった。

 

四代目Matsu号襲名
SkylineGT-R【BNR32】
 BNR32-212710 

<鶴舞公園公会堂前にて>

 H1.8.21。バブル最盛期の中、そのモンスターがベールを脱いだ。
   『GT−
 この響きに心躍らされた人が何人いたことだろう。『Z』一筋で来てしまった自分であっても、気にならない訳がない。発表と同日に近くの名古屋プリンス本社へ。そこには、一段高く誇らしげにクルマ下を見せる黒Rがいた。オレは、店員の目も気にせず、下側を覗き込んでいたことを思い出す。ヘッドランプのプロジェクターも気になり、店員に暗くないかと問うた覚えもある。しか〜し、オレの手の届くモノであるまい、別世界の出来事、そう理解するに時間はさほど必要でなかった。とんでもない衝撃を受け、PZ31で帰宅した記憶である。それから、街角で出会うものの、どことなく野暮ったい外車を見るが如く、避けていたように思える。
 そんな自分は、今、BNR32に乗っている。そのころでは、考えられもしないことだ。
 PZ31があの事故に遭った後のH3.9、結婚間もなかったこと、子供が出来たことが解ったこと、バブルだったこと?などが重なり、クルマを買い換える気持ちが湧いていた。『Z=2シーター』を信条としていたオレとしては、2/2は許し難かった。当然、Zは諦め、4シーター以上の乗用車へと目が移っていく。スポーティーでそれでいて居住性が優れたクルマ、こりゃ、スカイラインしかないな。2DrGTS4+エアロキット+フルコンポで見積もりしたら、440万円!えっ!GT−Rの車両価格じゃん。カミサンへは、この通り伝え、んじゃ、R買えるじゃんとの誤解?から、トントン拍子に話が進む。カミサンには今でも騙されたと言われ続けている。
追い金375万円!
あのころは元気だったね。即金ですわ。。。。それが今じゃ・・・・・・・・・
 H3.9.20。これまた、夕方の納車であった。ベランダ越しにやってくるRを見たときには、「来た!来た!」とガキのようにはしゃいでいた。上の写真は、納車二日後の写真である。
 しばらくは、ノーマルでとのことから、最初の車検までは、℃ノーマルであった。そこから、少しずつモディファイが進んでゆく。

主要交換・追加部品

No

主要部位

部 品 名

摘 要

フォグランプ シビエバイオスカー H4⇒友人へ譲る
コンポ ヘッドユニットケンウッド アンプ内蔵4SP+デッキ+DSP対応
ホイール1 B.I.Mクリエイティブスタジオ 9.5J-17+25
3’ タイヤ1 グランプリM3 255-40-17
バンパー ニスモバンパー 当逃げ、ナンバー新品
マフラー1 HKSリーガルマフラー φ85
サスペンション トヨシマH150 F40mmR30mmDownノーマル形状
エアクリーナー フォルザ 純正交換
コンポ パイオニアスピーカー トレードイン4SP
8’ コンポ ケンウッドDSPイコライザー グローブボックスへ
8’ コンポ ケンウッドアンプ 小型(リア用)
8’ コンポ JVCサブウーハ アンプ内蔵型
ハンドル ナルディー ガラ3
10 サスペンション クスコ(黒) FR10mmDownノーマル形状
10’ ショックアブソーバー KONI Cリング車高調
11 Fアッパーリンク ニスモ・純正 4セット目(54000km現在)
12 エアクリーナー フォルザ キノコ型
13 CDチェンジャー ケンウッド 10連奏
14 タイヤ2 ピレリP6000 255-40-17
15 ROM1 アイメック 店頭交換(350PS)
15’ プラグ ブリッツ 8番
16 EVC HKS−EVCatm 1.1kg/cm2
16~ 強化悪ちぇ HKS 1.0kg/cm2固定、EVC外す
16’ ブーストメーター HKS φ48、純正位置へさりげなく
16" ブーストメーター オーモリへ変更 同上
17 サスペンションリンク FR純正交換 注1)
18 エアクリーナー HKSパワーフロー キノコ型
19 コンポ ケンウッドサブウーハ25cm ボード自作、後席背面、JVCアンプ流用
20 ヘッドライト 純正ユニット交換 ---
20’ メーター ニスモ320km/h GT-Rマーク
21 ホイール2 マインズBBS−LM 9.5J-17off+25
21’ タイヤ3 エイビットA206 255-40-17
22 マフラー2 ベイルサイドVS−IV オールステンφ85
22’ フロントパイプ ベイルサイド オールステンφ75*2-φ85
23 エンジンマウント 純正交換 ミッション同時
23’ クラッチ ニスモ047+純正カバー ---
23’ フライホイール 面研、軽量化 既存純正加工
24 シフトレバー ニスモダイレクトシフトノブ 剛性感UP、若干のショートストローク
25 ROM2 濱ロムVer.25 能登MTG
26 ガスケット スロットルガスケット交換 ガスケット抜けによる不調
26’ タイミングベルト 純正交換 ---
26’ スプロケ HKSスライド交換(R443さん頂き物) クランク角10度Ex進角(オーバーラップ10度)
26” W.ポンプ R33N1ポンプ交換 ボルト長穴穴埋め
26”’ IJ.Oリング交換 純正交換 不調確認のため
27 AAC AACバルブ交換 既設分解整備するも回復ならず
28 テンションロッド ラジカルパワーピロテンション ジュラルミン
29 サスペンション3 アイバッハプロキット F30mmR20mmDownノーマル形状
29’ ショックアブソーバー2 オーリンズPCV Cリング車高調ショート
30 タイヤ4 AVS Sport 255/40-17 AVIDブロック飛び!

<ガレージの前にて>
<エンジンルーム>

 購入から3年半、通勤で使用、雨の中も走行した。転職し、電車通勤となってからは、完全に週末仕様となり、一気に走行距離が減少。丁度、同時期にメーターの交換をしたので、現在のオドメーター数値は、現会社入社後の走行距離とみなせる。3.5年で32,700km、6.5年で17,500km(H13.9現在)である。10年間のR人生、その2/3はゆっくりとしたタイムサイクルとなっている。
 ここで気がついたのが、如何に雨天走行を重ねることが、下回りの劣化を助長するかである。転職後、下回りは、雑巾掛けする程度に止めている。特に、スチーム洗車もしていない。もちろんシャーシブラックすら塗っていない。それでも、錆びが非常に少ない。少なくとも見た目には(^^;)ゝ
 エンジンオイルも、距離数よりも、季節などの時間が先に来てしまう。少々もったいない気もするが、エンジンのグッドコンディションを維持するためにも、仕方のないところ。
 ここへきて、32'sの連中と知り合ったことから、様々な情報を得ることとなる。目からウロコが何枚とれたことか。その中でも、ロムチューンには、驚かされた。某ショップの吊しECUでは、変わった!というほどの体感がなかたものの、こんなものだろうと理解していた。ソレは、理解ではなく、誤解であったことに気づく。しっかり熟成されたロムデータは、確実に変貌するって事を。吊しECUは、マージンを取ったままか、つまらぬトラブルを避ける意味か、殆どのショップモノは、こういう状況らしい。自分のロムデータも、ご多分に漏れず、ブ〇ッツのコピーであった。これには、相当ショックでしたよ。知らぬが仏とは、このことかと。
 それからは、ノーマルの良さを再認識しながら、モディファイする様、心がけている。
チューンよりも、ノーマルグッドコンディション!これが大切と思う。チューンはそれから。
 今後も、現状の利用形態は、変わらないであろう。ひょっとすると、もっと利用が減るかも知れない。子供達が乗りたがらなくなるかも知れないから。。。。

MatsuR-Garage