【歴戦の愛機たち】
クルマ。時代と共に進化し続け、今や内燃機構造すら終わろうとしている。我が少年期には、高度成長期と重なり、世界のモータリゼーションが大きく変貌した時代でもある。この日本でも、今なお『 名車 』と呼ばれるクルマ達が数々登場した。モーターショーで父親と一緒に見たTOYOTA2000GTは、その代表格であろう。
そんな幼少時代に見たクルマの中で、スポーツカーへのあこがれを抱いたクルマがある。
『』・・・型式S30
ロングノーズショートデッキ。滑らかなボディーライン。コックピットの名がふさわしい運転席。荒々しいエンジン。車名やそのスタイルでは、女性らしさを感じつつも、操りにくさからくる男らしさを併せ持つ、貴重な名車。私は、今でもそう思う。
その後、車社会、日産にとっても氷河期と評される時代があり、一転、社会情勢が大きく変革した時代がやって来る。
そう、バブル。日本のメーカーは、こぞってハイパワーカーを生み出す。
そんな中で、我が人生をも揺るがす、バブルの申し子が登場する。
『』・・・型式BNR32
【歴戦の愛機一覧】
初代 弐代目 参代目 四代目
KE20
S30 PZ31 BNR32
免許皆伝は、昭和56年9月9日。そう、大抵の男は、大学入学前(高校時代)に取るであろうが、ギリギリまで、受験に足掻き入学後も高校の延長のように誤解?をし、クルマのことは、忘れ去られた遠い過去?であった。大学入学後は、高校時代からの趣味であった自転車を溺愛し、サークルにも参加していた。現在もRと共に倉庫で眠るロードレーサーがある意味、初代Matsu号なのかもしれない。
夏休みに入り、いよいよ免許取得へ向け動き出す。しかし、クルマに乗りたいなどとは特に思わなかった。そこには、溺愛のマシーンがあったから。
ここでちょっと、ロードレーサーの紹介を。。。
生まれ | 昭和54年、名古屋市昭和区のチクリスタイシハラ |
フレーム | タンゲクロモリNo.2 H=530mm Color=Gold |
ペダル | ミカシマシルバン(バンドクリップ式) |
クランク | シマノデュラエース |
F−ギア | シマノデュラエース52T/48T |
R−ギア | シマノデュラエースT〜13T |
Fディレーラ | シマノデュラエース |
Rディレーラ | シマノデュラエース |
チェーン | シマノデュラエースUG |
F/Rハブ | シマノデュラエース |
スポーク | 段付スポーク |
リム | スーパーチャンピンオン(中空) |
タイヤ | ウオルバージュニアブチル〜パナレーサー(300gチューブラー) |
ハンドル | 日東 |
ステム | 日東パール(90mm) |
サドル | チネリ(バックスキン) |
ポスト | 日東 |
F/Rブレーキ | グランコンペ |
こいつとは、能登一週、九州一周・・・・
大学1年生の夏休みも終わり、免許皆伝後のある日、オヤジの勤める建築会社が突然の倒産。何とか大学へは行けるが、小遣いなんぞは望めまい。サークル活動も自粛の意味で脱会。当然のことながら、アルバイトを始める。この時点で、うっすらとクルマへの思いが・・・・
最悪の事態の中で、自分の趣味だけ忘れていなかったんだね。両親に、ゴメン!更には感謝!何故かバイト先は、川名のガソリンスタンド。エッソマンとなった。
そんな中、オヤジがクルマを貰ってきてくれた。昭和46年式カローラ。色は薄い黄色。菓子折5000円での購入である。車検が約1年半残っていた。オヤジの仕事仲間からの譲りモノだった。女性が乗っていたとのことであったが、とにかく汚れまくり。洗車道の始まりだ。ひたすらバフ掛け。錆びたところは、タッチアップペンで塗装。ワックスは、エッソハード。フロントグリル+ライト周り+リアテールランプ間を黒塗装。テールレンズには、スモークスプレーでブラックアウト。ホイールはてっちん。錆落としをして、ゴールド塗装。ドア下方は錆が激しかったため、ペーパー下地でゴールド塗装。ツートーン仕上げだ。
内装へ移って、内張はダイエーで500円/mの熊の絵がついたビニールシートを購入し、張り替えた。イメージは一変だ。何故かファンシー???アメ横で5000円のカセットステレオ購入。オヤジのお古のスピーカーを取り付けて、ノーランズ、アラベスク。。。
当時は、エンジンへの興味はなく、音だけ何とかしたい!マフラー中間サイレンサーへの穴開け+エアクリ蓋の段ボール化!であった。メッキ平板型フェンダーミラー。コレをつり目状にセット。結構、おつなモノである。これぞ、我が初代愛機である!
残念なことに、写真が現存しない。悔しい限りである。
S30-124584
<三方五湖にて>
カローラによる学生時代も、次第にエキサイティングな時代に突入である。丁度このころ、オヤジのクルマは、初代カムリSEであった。焦茶+茶色のツートンは、なかなか渋い。そいつにハヤシストリート6.5J-14+F195/70-14,R205/70-14をおごった。何故?カローラじゃ、格好悪いじゃん!そう、コンパ、コンパである。たくさんコンパの思い出がある割に、***の覚えがない。硬派であった。(^^;)ゝ
ガソリンスタンドでは、様々なクルマがやってくる。特徴のあるクルマが多かったような気がする。軽自動車も360ccの時代だ。燃料は、まだ、有鉛ハイオクを販売していた。話が逸れるが、丁度有鉛ハイオクが終わろうとしていた頃である。旧車の有鉛ハイオク仕様がバルブシート打ち換えによる、無鉛ハイオク仕様への変更を余儀なくされた。今では、有鉛の文字すら忘れ去られようとしている。
そんな中、我に衝撃が走った。マルーンの240ZG!エセではあったが、そのたたずまいに、かつての少年期を蘇らす。コレしかない!!こうなったら、居ても立っても折られない。修理屋へS30捜索指令を発令する。カローラは車検切れで廃車とし、その約1ヶ月後に、目的のZに出会う。修理屋へ飛んでゆくと、キャリアーに乗せられ現れる。フェンダーにへこみがあるものの目立った事故歴はナシ。ミッションのヘタリ、ブッシュ関係のヘタリなどから、ブッシュ総替え+全塗装+ドアミラーにて、50万円ポッキリ!即決!今の市場では考えられないね。
納車当日。自宅の窓から眺めていると、真っ白のS30が現れた。ゆっくり駐車場に停車。飛んで降りていったよ。そこには、流麗なボディーラインの2シーターZである。ん?妙にすっきりしている。何か変だ。あっ!ビタローニがない!そう、フェンダーはもちろんドアミラーがないのである。間に合わなくてねぇ〜。修理屋の一言。それから、1週間、ミラーなしだった。それにしても、ミラーなし、格好いいよぉ〜!!!
購入半年後、シルバーのエセ240ZGで車検切れ寸前があるとの情報キャッチ。すかさず3万円で購入。ただし、名義変更は自分で行った。所有者の印をもらいに行くと、その彼、中学時代の同級生だった。ちょっと驚き。部品をはぎ取って、そのまま、修理屋へ。Gノーズ+オバフェン+リアスポがめでたく付いた。ちょっとした不手際で、ボンネットヒンジの移植を忘れ、開かないよー事件もあった。よき時代である。さすがにそれまで7J−14だったハヤシストリートもリアはやや貧相に見えてきた。2本5000円で8Jを購入。当時としては、がんばってのロクマルタイヤを取り付けた。310turboだったかな。
そうなってくると、またもや音!不足気味だ。本来で有れば、ソレ+タコ+デュアルだが、そこは貧乏学生。結局はエンジンノーマルで終わったね。SUキャブはそれなりに遊びはした。中のオイルを2ストものにしてレスポンス重視。クリーナーボックスは、フォルザの独立ボックスへ換装。ウルトラの赤ラインに交換。プラグは、5・6・7・8あたりを使い分けした。
マフラーは、当然お金がないので、リアサイレンサーのみ交換。アンサー風1本だしスラッシュだった。走り回れば消音材が飛び散り、爆音になるとは後ろから消音材を突っ込む、この繰り返しだった。ヘッドライトは、今は無き?マーシャル。H4の100Wで深夜も快晴?だった。初めはリレーを入れることを知らずに、ハイビームにした途端、ハンドルコラムからもくもく煙が・・・勉強でした。群馬のツレ宅へ遊びに行ったときには、前を走るツレは、オレがハイビームにすると、後頭部が熱かったとか。。。証言。
室内に目をやると、ハンドルはナルディーウッド。コンポは、ケンウッド。化粧板は自作。純正は、今は無き8トラステレオだったからね。若い人は知らないのでは?新調したのは、ラジオ+カセット一体型+イコライザー+アルミ置型3ウェースピーカーだった。元々、アンテナが電動だったため、これを生かすようスイッチを設置。3連メーターの下には、純正室内灯。下へ向けたときのみ点くものであったが、スイッチを別途増設、ON/OFF出来るように加工。フロアマットには、貰い物のバスマットを流用していた。そうそう、助手席には、踏ん張り棒があったね。いかにも、スパルタン?
ここでS30系譜を少し。正しくは、S30との型式はS46.3〜S50.8までのZ-Lを指します。その後は、排ガス対策などからA−S30となる。S30も、S48.9を境にマイナーチェンジを受けており、一例としては、例のワンテールが分割式になったりリアゲートダクトが廃止となった。また、S30Sとの型式で、廉価版も存在した。カーステレオなどのオプション扱いにより20kgの軽量化を呼び、ノンリクライニングシートと相まって、こちらをグッドチョイスとする人も少なくなかった。他グレードとしてS20を積むPS30、S46.3には240ZGのHS30が追加、S49.1から2/2のGS30追加された。S53.8にフルモデルチェンジを受け、S130へとバトンタッチする。
KPZ31-
<名港大橋の下にて>
社会人2年生のS61.12、マイナーチェンジを受けるPZ31の情報を聞きつける。角張った当初のZ31が丸くなる、そんなことから淡い期待を抱いて、近所の愛知日産を訪れる。オフクロがパートしていたうどん屋へ来る日産部品の部長さんの紹介だった。カタログだけを頼りに、決めてしまった。シルバー、2シーター、レカロオプション、サイルチェーン、スキーキャリア?・・・・締めて341万円
納車の日は、夕方だった。PZ31が来る直前に、S30を譲る学生が取りに来た。15万円で譲った。そしてPZ31が登場。早々に立ち去るS30。その後ろ姿は、すごく寂しく、もの悲しい気持ちであった。目の前に、新車が有るというのに。営業マンと金銭授受を済ませ、彼をディーラーまで送る。初めてのPZ31。緊張したねぇ〜。なんて静かなんだ、なんて大きいんだ。。。第一印象。
カミサンと出会ったときは、S30だったが、殆どの思い出は、このPZ31だ。何処へ行くのも一緒だった。カミサンの成人式へも迎えに行ったな。神戸にも行った。でずにーらんどへも行った。
SSRの限定モデルに履き替え、HKSターボマフラー(非対応)へ交換、対米仕様のリアガーニッシュへ交換、TBOのFスポを追加した。純正フォグの内側に、シビエの角形ドライビングフォグを入れた。こいつがメッチャ抜けが良く、冗談抜きで、前走車の下を抜けてその前を照らすぐらいだった。それ以上、特に何も触ることなく終演を迎えた。そう、このクルマ、360度、ぶつけられた所がないクルマとなった。記憶するだけでも5件はある。最後は壮絶だった。出勤途中、脇道からクラウンが我が側面へ衝突、その弾みで対向車線歩道へ乗り上げ、空き地の土手で止まる。サイドガラスは割れ、Fスポは飛び、腕には血が滲んでいた。これが引き金で、クルマ買い換えへ心が動く。
つい最近、スキーキャリアが倉庫から出てきた。新品未使用。そう、一度も使わぬまま、終演を迎えたのであった。一応、板金修理し、最終的には、150万円の下取り車となった。
BNR32-212710
<鶴舞公園公会堂前にて>
H1.8.21。バブル最盛期の中、そのモンスターがベールを脱いだ。
『GT−R』
この響きに心躍らされた人が何人いたことだろう。『Z』一筋で来てしまった自分であっても、気にならない訳がない。発表と同日に近くの名古屋プリンス本社へ。そこには、一段高く誇らしげにクルマ下を見せる黒Rがいた。オレは、店員の目も気にせず、下側を覗き込んでいたことを思い出す。ヘッドランプのプロジェクターも気になり、店員に暗くないかと問うた覚えもある。しか〜し、オレの手の届くモノであるまい、別世界の出来事、そう理解するに時間はさほど必要でなかった。とんでもない衝撃を受け、PZ31で帰宅した記憶である。それから、街角で出会うものの、どことなく野暮ったい外車を見るが如く、避けていたように思える。
そんな自分は、今、BNR32に乗っている。そのころでは、考えられもしないことだ。
PZ31があの事故に遭った後のH3.9、結婚間もなかったこと、子供が出来たことが解ったこと、バブルだったこと?などが重なり、クルマを買い換える気持ちが湧いていた。『Z=2シーター』を信条としていたオレとしては、2/2は許し難かった。当然、Zは諦め、4シーター以上の乗用車へと目が移っていく。スポーティーでそれでいて居住性が優れたクルマ、こりゃ、スカイラインしかないな。2DrGTS4+エアロキット+フルコンポで見積もりしたら、440万円!えっ!GT−Rの車両価格じゃん。カミサンへは、この通り伝え、んじゃ、R買えるじゃんとの誤解?から、トントン拍子に話が進む。カミサンには今でも騙されたと言われ続けている。
追い金375万円!
あのころは元気だったね。即金ですわ。。。。それが今じゃ・・・・・・・・・
H3.9.20。これまた、夕方の納車であった。ベランダ越しにやってくるRを見たときには、「来た!来た!」とガキのようにはしゃいでいた。上の写真は、納車二日後の写真である。
しばらくは、ノーマルでとのことから、最初の車検までは、℃ノーマルであった。そこから、少しずつモディファイが進んでゆく。
No |
主要部位 |
部 品 名 |
摘 要 |
1 | フォグランプ | シビエバイオスカー | H4⇒友人へ譲る |
2 | コンポ | ヘッドユニットケンウッド | アンプ内蔵4SP+デッキ+DSP対応 |
3 | ホイール1 | B.I.Mクリエイティブスタジオ | 9.5J-17+25 |
3’ | タイヤ1 | グランプリM3 | 255-40-17 |
4 | バンパー | ニスモバンパー | 当逃げ、ナンバー新品 |
5 | マフラー1 | HKSリーガルマフラー | φ85 |
6 | サスペンション | トヨシマH150 | F40mmR30mmDownノーマル形状 |
7 | エアクリーナー | フォルザ | 純正交換 |
8 | コンポ | パイオニアスピーカー | トレードイン4SP |
8’ | コンポ | ケンウッドDSPイコライザー | グローブボックスへ |
8’ | コンポ | ケンウッドアンプ | 小型(リア用) |
8’ | コンポ | JVCサブウーハ | アンプ内蔵型 |
9 | ハンドル | ナルディー | ガラ3 |
10 | サスペンション | クスコ(黒) | FR10mmDownノーマル形状 |
10’ | ショックアブソーバー | KONI | Cリング車高調 |
11 | Fアッパーリンク | ニスモ・純正 | 4セット目(54000km現在) |
12 | エアクリーナー | フォルザ | キノコ型 |
13 | CDチェンジャー | ケンウッド | 10連奏 |
14 | タイヤ2 | ピレリP6000 | 255-40-17 |
15 | ROM1 | アイメック | 店頭交換(350PS) |
15’ | プラグ | ブリッツ | 8番 |
16 | EVC | HKS−EVCatm | 1.1kg/cm2 |
16~ | 強化悪ちぇ | HKS | 1.0kg/cm2固定、EVC外す |
16’ | ブーストメーター | HKS | φ48、純正位置へさりげなく |
16" | ブーストメーター | オーモリへ変更 | 同上 |
17 | サスペンションリンク | FR純正交換 | 注1) |
18 | エアクリーナー | HKSパワーフロー | キノコ型 |
19 | コンポ | ケンウッドサブウーハ25cm | ボード自作、後席背面、JVCアンプ流用 |
20 | ヘッドライト | 純正ユニット交換 | --- |
20’ | メーター | ニスモ320km/h | GT-Rマーク |
21 | ホイール2 | マインズBBS−LM | 9.5J-17off+25 |
21’ | タイヤ3 | エイビットA206 | 255-40-17 |
22 | マフラー2 | ベイルサイドVS−IV | オールステンφ85 |
22’ | フロントパイプ | ベイルサイド | オールステンφ75*2-φ85 |
23 | エンジンマウント | 純正交換 | ミッション同時 |
23’ | クラッチ | ニスモ047+純正カバー | --- |
23’ | フライホイール | 面研、軽量化 | 既存純正加工 |
24 | シフトレバー | ニスモダイレクトシフトノブ | 剛性感UP、若干のショートストローク |
25 | ROM2 | 濱ロムVer.25 | 能登MTG |
26 | ガスケット | スロットルガスケット交換 | ガスケット抜けによる不調 |
26’ | タイミングベルト | 純正交換 | --- |
26’ | スプロケ | HKSスライド交換(R443さん頂き物) | クランク角10度Ex進角(オーバーラップ10度) |
26” | W.ポンプ | R33N1ポンプ交換 | ボルト長穴穴埋め |
26”’ | IJ.Oリング交換 | 純正交換 | 不調確認のため |
27 | AAC | AACバルブ交換 | 既設分解整備するも回復ならず |
28 | テンションロッド | ラジカルパワーピロテンション | ジュラルミン |
29 | サスペンション3 | アイバッハプロキット | F30mmR20mmDownノーマル形状 |
29’ | ショックアブソーバー2 | オーリンズPCV | Cリング車高調ショート |
30 | タイヤ4 | AVS Sport 255/40-17 | AVIDブロック飛び! |
<ガレージの前にて>
<エンジンルーム>
購入から3年半、通勤で使用、雨の中も走行した。転職し、電車通勤となってからは、完全に週末仕様となり、一気に走行距離が減少。丁度、同時期にメーターの交換をしたので、現在のオドメーター数値は、現会社入社後の走行距離とみなせる。3.5年で32,700km、6.5年で17,500km(H13.9現在)である。10年間のR人生、その2/3はゆっくりとしたタイムサイクルとなっている。
ここで気がついたのが、如何に雨天走行を重ねることが、下回りの劣化を助長するかである。転職後、下回りは、雑巾掛けする程度に止めている。特に、スチーム洗車もしていない。もちろんシャーシブラックすら塗っていない。それでも、錆びが非常に少ない。少なくとも見た目には(^^;)ゝ
エンジンオイルも、距離数よりも、季節などの時間が先に来てしまう。少々もったいない気もするが、エンジンのグッドコンディションを維持するためにも、仕方のないところ。
ここへきて、32'sの連中と知り合ったことから、様々な情報を得ることとなる。目からウロコが何枚とれたことか。その中でも、ロムチューンには、驚かされた。某ショップの吊しECUでは、変わった!というほどの体感がなかたものの、こんなものだろうと理解していた。ソレは、理解ではなく、誤解であったことに気づく。しっかり熟成されたロムデータは、確実に変貌するって事を。吊しECUは、マージンを取ったままか、つまらぬトラブルを避ける意味か、殆どのショップモノは、こういう状況らしい。自分のロムデータも、ご多分に漏れず、ブ〇ッツのコピーであった。これには、相当ショックでしたよ。知らぬが仏とは、このことかと。
それからは、ノーマルの良さを再認識しながら、モディファイする様、心がけている。
チューンよりも、ノーマルグッドコンディション!これが大切と思う。チューンはそれから。
今後も、現状の利用形態は、変わらないであろう。ひょっとすると、もっと利用が減るかも知れない。子供達が乗りたがらなくなるかも知れないから。。。。